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【私の英語放浪記】帰国後日本編 インターナショナルスクールでの英語

桜と富士山 体験記

4年半のカナダ滞在から日本に戻ってきた時、娘はまったく日本語がしゃべれませんでした。帰国したのは私のビザの問題もありましたが、娘が次の年に学齢に達するのも理由でした。

日本のお受験に嫌気がさし、カナダで自由な教育を受けさせたいと思っていましたが、実際にカナダに行ってみるとあまりに自由すぎて心配になるほど。

タニヤ
タニヤ

カナダの学校は、英語のフォニックスや、算数の九九を教えなかったり、学年を撤廃して学べるようにするなど、かなり先進的でびっくり!

帰国後、日本語がしゃべれなかった娘の行く末

帰国したのはいいのですが、問題は娘が日本語をしゃべれないこと。帰国子女のための公立の学校もあるようですが、とりあえず住んでいる学区の小学校に行ってみることにしました。

娘の手を引いて小学校の門をくぐり玄関まで歩いて行く途中、その学校の子供と思われる児童が唐突に叫んだのです。「お前なんかくるな!」

当時は小学校・中学校のいじめが頻発していた時期です。特に娘の学区はいじめを苦にして自殺した生徒の問題がマスコミで騒がれていました。

学区の小学校でのショッキングな経験や、通うめどが立たない帰国子女用の公立校。半年後に小学校入学を控えて途方にくれてしまいました。

そんな時、赤坂で開業している知り合いの日系アメリカ人の歯科医から、東京のインターナショナルスクールの校長はみんなうちの患者だからどこでも紹介してあげるよ、という願ってもない助け舟が。

その中で、ラッシュのひどい中央線の上りで通うのは無理と考えて、ラッシュとは反対方向の荻窪の出来たばかりのインターナショナルスクールを紹介してもらいました。

インターナショナルスクールで必要な英語は?

インターナショナルスクールの面接はもちろん英語ですし、お知らせなどの文書もすべて英語です。カナダから帰国したばかりだったのでまあまあ対応は出来ました。

日本人が多いインターだったことと、父兄の交流はそれほどなかったので、日常的に英会話が必要ということはありませんでした。英語がそこそこわかれば学校への対応はそれほど難しいものではないと思います。

学園祭の模擬店や、ハロウィンの学芸会などのイベントでは父兄や先生との交流のようなものはありましたが、参加したのは必要最小限。それほど英会話の必要は感じませんでした。

唯一、積極的に英語で話さなければいけなかったのは、娘が担任の先生に言われた理不尽なことに対して学校に抗議に行った時のことです。教頭 (Vice-principal)に抗議のための面談に行った時ばかりはさすがに英会話力の不足を感じないわけにはいきませんでした。

インターナショナルスクールの学校生活

インターには芸能人のお子さんも通っていました。身近に芸能人のいる環境にちょっとびっくりしましたが、インターでは珍しいことではないようで誰も特別視する人はいません。

その理由は、外国から来た教員や外国籍の同級生は芸能人のことをよく知らないことや、学校も保護者もプライバシーを尊重することにあるようです。

娘の通っていたインターは新しくできた学校ということもあって、学年ごとに一クラス。なので、同じ学年の生徒はずーっと一緒のクラスになります。

カナダで、娘は2歳からYMCAのデイケア、その後モンテッソーリの幼稚園へ。6歳でカナダでは義務教育のキンダーガーテンに半年通いました。

多分、日本の小学校よりはそれまで過ごした環境に近かったのではないかと思います。

試験の結果が全てではないインターナショナルスクールの難しさ

日本語をしゃべれなかった娘は日本人の多いインターに通い始めて徐々に喋れるようになりました。でしかし、残念ながら、娘はあまりインター向きの性格ではありませんでした。

インターでは、娘の得意な試験の結果はそれほど重要視されなかったのです。授業の参加度とか、宿題を忘れないとかの方が大事なのです。忘れ物が多く、提出物も滞っていた娘の成績は芳しいものではありませんでした。

インターで落ちこぼれだった娘は、日本の高校に通うようになって水を得た魚のようでした。インターでは重要視されなかった試験の結果が良かったためです。

当時インターの卒業生は高校受験の資格がありませんでした。何校か受けてみたのですが、全て最終段階で「文部省が・・。」という一言で願書は不受理になりました。娘の通っていたインターは中学までしかなく、高校は海外留学して、大学は帰国子女枠で日本で受けることを推奨していました。

海外留学は嫌という娘のために行けそうな高校を探し回った末、ある女子校が娘の英語力を見込んで入学させてくれることに。もちろん高校受験は出来ませんから、中学3年編入という離れ技を使って中高一貫校である女子校に進学できたのです。

娘はその女子校を卒業し、一般入試で大学を受験することができました。

さいごに

4年半住んだカナダからの帰国後、カルチャーチョックのような状態になり、英語の勉強を続けようと言う気にはなれませんでした。

これからは英語だけでなく中国語も必要と、娘のために中国人の先生を探してきましたが、娘は初回のレッスン後ドロップアウト。仕方なく私1人でマンツーマンレッスンになりましたが、先生の教え方が面白く、2年間くらい続きました。

タニヤ
タニヤ

娘が海外の高校に留学したくなかったわけは・・。

当時夢中だったビジュアル系バンドのコンサートに行けなくなるから。

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